長崎市の概要と魅力 ~地理編~ 中世の地図にも記載―世界から一番近い日本だった長崎! 諸外国の冒険家たちが携えていた地図に描かれた日本。大きく書かれていたのがNAGASAKIの文字でした。

長崎修学旅行の魅力
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長崎市の概要と魅力

長崎ならではの学習テーマ

原爆被爆都市 長崎

「極東にジパングという国があるらしい。行ってみよう。遥かな海を越えて」――。
その昔、日本を目指して諸外国の冒険家たちが携えていた地図には、この東の小さな島である日本が描かれていました。その中心に大きく書かれていたのがNAGASAKIの文字。そう、中世のヨーロッパでは、長崎が日本を代表する地名だったのです。

諸外国の地球儀や地図に残るNAGASAKIの表記

地球儀はいつもその国を中心に描かれます。中世から近世にかけて、諸外国で作られた地球儀や地図には極東の日本は小さな扱いでした。けれど日本を代表する地域名には必ず長崎の表示がありました。往時の諸外国にとって、日本の西に位置する長崎は日本の窓口であり、派遣された船は東シナ海を通って長崎へ向かったのです。

南蛮人来朝之図(長崎歴史文化博物館蔵)南蛮人来朝之図(長崎歴史文化博物館蔵)

「長崎の湾が貿易港に適している」――町に宣教師が行きかい教会が造られる

宣教師たちは、「波が穏やかでかつ水深が深いこの湾であれば大型船も入ることができる」と、キリシタン大名の大村純忠に長崎の港を開港するように要請。純忠がそれを認め、長崎港に外国船がやってくるようになりました。純忠はこの長い岬に町づくりを始め、平戸、外浦(ほかうら)、横瀬浦、島原、大村、分知(文知)という6つの町を造成し、この町をイエズス会に寄進します。以降、長崎はキリスト教布教の拠点として多くの宣教師が行き交い、市中には次々に教会が造られるようになったのです。

復元された出島復元された出島

キリシタン文化は受難の時代へ――出島は何のために作られたのか?

1587(天正15)年、キリスト教が広まり宣教師と信者の団結力に脅威を感じた豊臣秀吉は、天下統一の妨げになるとして「伴天連追放令」を発布。江戸時代に入っても徳川幕府が「禁教令」を発布しました。以降、厳しいキリシタン取り締まりが行われ、受難の時代へと突入したのです。1634(寛永11)年、江戸幕府は布教を進めてきたポルトガル人を監視するために、長崎の岬の先端に扇形の人工島、「出島」の築造を始めました。日本が鎖国時代に突入してから再び開港する200年以上もの間、出島は鎖国時代における西洋に開かれた唯一の窓口として機能していきました。

コラム

出島は長崎町人が作った人工島――

江戸時代の出島の姿を再現した模型江戸時代の出島の姿を再現した模型

なぜ扇形?

出島を築造する際、幕府は長崎の有力町人25人に築造費の共同出資を命じました。出島の門や塀、橋などは幕府の費用で造り、それ以外の土地、建物を造ったのが25人の町人たちです。なぜ扇形になったのかということには諸説あります。時の将軍徳川家光が自分の扇を出して「これを見本にしなさい」と言ったという説。また、中島川の河口に運ばれた土砂が堆積して形成された弧状の砂州を埋め立てたからという説。他には、海側のカーブには波の影響を少なくする効果があるので扇形にしたという説もあります。

出島の中ではどんな生活があったの?

オランダ商館員たちは長崎市内に出ることは原則として許されませんでしたが、貿易の許可を受けた商人や、オランダ商館員日常の世話をする使用人などが出入を許されていました。オランダ商館長-カピタンは江戸幕府の将軍に謁見しなければなりませんでした。この江戸参府を通じて、オランダ商館員と蘭学者との交流が行われました。

外国人が住んでいた東山手の家並み外国人が住んでいた東山手の家並み

国内現存最古の教会堂でもある大浦天主堂(国宝)国内現存最古の教会堂でもある大浦天主堂(国宝)

美しい教会群、そして外国人居留地跡――今も異国情緒あふれる

1858(安政5)年に日本は開国。長崎は神奈川、函館とともに開港場に指定され、丘の上や平地に「外国人居留地」が造成されました。明治に入ると、居留地には商社、銀行、領事館、ホテルなどの建物が建ち並び、その裏通りは製パン所、理容院、洋装店などが揃ったモダンな商店街、大浦川沿いには船員たちが集うバーが軒を連ねていたといいます。外国人が住んだ居留地跡は、長崎を代表する異国情緒あふれる景観が今に残っており、歴史の面影を垣間見ることができるエリアとして愛され続けています。また、明治以降にキリスト教の禁教が解かれ、信仰の自由を取り戻した長崎は、その後のキリスト教文化の発展と成熟によって多くの人を魅了する都市として歩み続けています。

モナコ、香港と並んで「世界新三大夜景」に数えられる長崎の夜景モナコ、香港と並んで「世界新三大夜景」に数えられる長崎の夜景

港町には坂が多い?――長崎は地理的にも地形的にも優れた港を有する町

長崎は、渡来した宣教師たちが「貿易港に適している」と判断した通り、諸外国に面しているという地理的なメリットと優れた港を有する地形的なメリットを併せ持つ町です。波風の穏やかな入り込んだ地形、そして陸の間際まで水深が深いという点で優れた港であるといえるのです。陸の間際まで水深が深いということは、そこからつながる陸上も斜面、いわゆる「すり鉢状」になっています。つまり、港町として適しているからこそ、長崎の町には坂が多いのです。
急な坂道や石段も多い町ゆえに、自転車普及率の低さは全国でも一二を争うほど。慣れない人は少々疲れるかもしれませんが、高台から眺める夜景の美しさは格別。独特の地形がもたらす夜景は、「世界新三大夜景」の一つに認定されています。

青い海と白い砂浜が美しい伊王島青い海と白い砂浜が美しい伊王島

971島を持つ日本一の島所有県――長崎市内にもある島を楽しめるエリア

改めて長崎県の地形を見てみますと、海に突き出た多くの半島と島々から成っている特徴的な地形であることがわかります。県全体の面積の45%が平戸、壱岐、対馬、五島などの島々で占められており、971島を持つ日本一の島所有県なのです。県庁所在地である長崎市の中にも、端島炭坑(軍艦島)が臨める野母崎や世界文化遺産に登録された「高島炭坑」の跡地がある高島など、歴史を感じつつ海や島の自然を楽しめるエリアもあります。

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